カルヌントゥムは、かつてローマ帝国パンノニア地方の最も重要な都市のひとつであった。ドナウ川リメス川の対岸に位置するバルバリカムに対する拠点として建設され、琥珀街道の交差点でもあり、戦略的、政治的、経済的に重要な役割を担っていた。

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1: Roman quarter 2: Amphitheater Civil City 3: School of Gladiators 4: Heathens Gate 5: Amphitheater Military City

当初は一時的な冬のキャンプ地であったカルヌントゥムは、紀元1世紀から4世紀にかけて約5万人の都市に成長し、ローマ帝国パンノニア上級州の州都となった。軍団の要塞とそれを取り囲む軍事都市に加え、軍事区域の外側にも繁栄した市民都市(ムニシピウム)が形成された。

カルヌントゥムでは、ローマ帝国の北の境界線であるリメスがドナウ川によって示されていた。カルヌントゥムは、帝国の国境を守るために軍事的に重要な位置にあっただけでなく、重要な交易路に近接していたため、重要なローマ都市へと発展した。

 

紀元6年/後に皇帝となるティベリウスが、カルヌントゥム一帯に冬季キャンプを張る。

紀元41~54年/軍事キャンプを建設。

紀元70年頃より/市民都市(ペトロネル=カルヌントゥムのローマ市街地区)に定住開始。

紀元81年~96年/ドミティアヌス帝の時代、カナベに補助砦と円形闘技場が設置される。

AD124年頃/ハドリアヌス帝の下、カルヌントゥムは自治体となる。この頃、市民都市に円形劇場が建設される。

西暦171年~173年/マルクス・アウレリウス皇帝がカルヌントゥムに滞在し、『瞑想録』第2巻を完成させる。

AD193.4.9/ルキウス・セプティミウス・セウェルスがカルヌントゥムで皇帝に即位。

AD194年/カルヌントゥムに植民地コロニア・セプティミウス・アウレーリア・アントニニアナ・カルヌントゥムが与えられる。

AD308.11.11/皇帝コン